夕焼けの「にしん街道」がヤバすぎる件

道央

みなさん、こんにちは!

今回紹介するのは日本海側のオロロンライン沿いにある石狩街道厚田村のにしん街道を紹介していこうと思います!

きれいです!!
ただ、まだ私のカメラ技術が乏しいので夕日が鮮明に写されてないのがすこしばかり悔しいと感じます。
こういう時、NDフィルター欲しくなります(*^^*)

そんな技術がまだまだなところでありますが、きれいだったということをシェアしたいと思い、投稿しようと思いました!

目次

オロロンラインのにしん街道碑

オロロンラインは石狩市から稚内市までを結ぶ海岸沿いの国道沿線の通称で、名前通りにしん漁で発展してきたという歴史があります。現在存在する最北のにしん番屋は礼文町まで、にしん漁で一喜一憂した時代がありました。

厚田村発祥の地碑が弁財船投錨地の碑と並んである。
約300年前から和人が往来し明治時代から昭和初期までニシン漁で栄え、最盛期の明治14(1881)年には人口は1万2000人を超えたというもニシン漁の衰退で過疎化が進んだ。運上屋が置かれたアツタ場所の拠点であった押琴・古潭地区に明治3年1月に開拓使厚田出張所(旧厚田運上屋を使用)が古潭村に設置され行政の中心地となった。また開拓使出張所が廃止された年に三面山龍澤寺に運上屋が払い下げられ、今も同所に三面山龍澤寺があることからアツタ運上屋は厚田運上屋は古潭側にあった事になる。維新後も厚田行政の中心地だったが開拓使出張所が廃止され交通網の整備と共に中心街は厚田に移っていった。

「あつた」の地名は、歴史を遡ると松前藩の「新御国絵図」(寛文元年1661年)に見ることができます。

 また、天保十一年(1840年)以降は増毛、天塩、宗谷方面に和人の出稼ぎが許可されるようになりましたが、それまでは厚田場所が西蝦夷地の北限でした。

 「にしん」の北上とともに松前、江差方面の漁夫も北上し、松浦武四郎の「西蝦夷日誌」(嘉永三年、1850年)オショロコツ(押琴)の項によれば、訪れる和人は一万人もいたとされています。押琴の泊は、弁財船(千石船)が三十隻も停泊できる良港で運上屋も建てられ、古潭、押琴一帯は大変な賑わいを見せたといわれています。

 「にしん」は魚偏に非ずという字を書き、米の取れない蝦夷地では米(と同様の価値)であるという意味で、単位も米と同じ石が用いられたといいます。

 厚田が再び、「にしん」で群来ることを願い、往時の繁栄と記憶を後世に引継ぐとともに、新たな観光ルートとして確立し、地位の活性化につなげるため、この「にしん街道」標柱を設置します。

設置月日 平成二十年七月吉日 

設置者  社団法人石狩観光協会

http://nishin.host.jp/modules/gnavi/index.php?lid=15&cid=1

と歴史も結構長いことが文に書かれていました。

厚田村のだけでも結構なものですね!

ここだけでなく、日本海沿いに11市町村14基が設置されているみたいなので各地それぞれに面白さがありそうですね!!!

(逆光がやばい。。笑)

アクセス

Google Map

にしん街道碑(石狩市厚田区) · 日本、〒061-3601 北海道石狩市厚田区厚田12−4
★★★★☆ · 史跡

住所:〒061-3601 北海道石狩市厚田区厚田12-4

おわりに

地理的にもオロロンラインは夕陽が綺麗に見える位置にあります。
オロロンラインで望む夕陽はとても綺麗なので是非皆様も夕刻に訪れてみてはいかがでしょうか?

こういうのも悪くないですね。。(笑)

では、今回はこんなところで〜


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